2008/06/23 東京で感じた沖縄戦 【総論】
沖縄に居るから感じること。
沖縄にいるから感じ取ることが出来ないこと。
東京に居るから感じること。
東京にいるから感じ取ることが出来ないこと。
うみうさぎが、今回都会で感じた事を記録として書きとめておこう。
・沖縄県民が忘れじの日「慰霊の日」が都会の人には「特別な日ではない」事。
・沖縄戦を経験された語り部の方が全国に沖縄戦を伝える日々を引退された事。
(毎日地獄の思い出を思い出すことはさぞ辛いことでしたでしょう、しかし貴方が伝えてくれたから私たちはリアルな戦争の悲惨さを感じる事ができました。ありがとうございました。)
・観光場所である首里城。その下には巨大な地下防空壕が築かれていたので、その中にはまだ数千もの収集されていない遺骨があると言う事。
(首里城は知らない方も多いかもしれませんが新しく建ったものです。那覇は米国軍の艦砲射撃と火炎放射で一切の草木までなくなりました。前県知事の太田氏によるとその下には日本軍の司令部があり、終戦近くに数千もの人が居たので未だに見つかっていない遺骨がいっぱいあるとの事)
・那覇新都心で遺骨収集がボランティアの手によって行われた事。
(新都心は今沖縄で開発ラッシュでどんどん家がたったり神聖な地が掘り起こされていってしまっています。しかしそこには未発掘の遺体がしぬほど埋まっており、開発されて家がたったりしてしまうと遺骨の収集は不可能になります。今の新都心は開発が進んでいるのでどんどんそういう場所も何も無かったかのように埋め立てて建物をたてられてなかったことにされていってしまっています)
・6/23日(慰霊の日)がここ東京ではほとんど知られていないこと。
(日本が起こした戦争の防波堤にされたのに・・・。なんの罪もないのに米軍の日本上陸の楯となれ!と借り出され。結果、米軍・日本軍両方に殺された沖縄人の悲劇の日を誰も自分の事と思っていない事。)
(出て来て良かった。この事実を一生知らないで過ごす所だった。「慰霊の日」は日本全国の人にとって大事な日(忘れじの日)であると思っていた。)
お昼に写し出される平和記念公園のあの光景。
おじいちゃんおばぁちゃん・子供夫婦・孫 全員が 太陽カンカンの晴天の下。日傘をさし。あの黒い石碑に向かって手おあわせ。自分の祖先の名前が書かれている文字を指でなぞる。何度もなんどもふいて指でなぞって言葉をかける。手を合わせてお祈りする。青い空・白い雲・黒い石碑・刻まれた戦没者の白い名前・緑の芝生・置かれた花束(黄色い菊)・おかれた島酒。
私はあの光景を見るたびに涙があふれてきます。(見た目は太陽がてっていてとてもあかるく緑の芝生がはえていい光景ですがあの光景を見ると涙が出てきます。)
NHKが流すその慰霊の日の平和記念公園からの映像は沖縄でも東京でも一緒です。しかし、おんなじ映像をみているのに都会の人にはその涙があふれない事。その感覚すらわからない事。
沖縄はやっぱいいてんきだねぇー。って言葉がよく聞かれます。
やはりこれは日常からの教育があるのだと思います。
だれも伝えないから思いつきもしない。。。。
しかし、誰かが伝えなければ始まらない。。。。
そんな悔しさと悲しみを感じた 2008年の 東京で感じた 慰霊の日 でした。
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