「像のオリ」 正式名称は 「楚辺通信所」
一見するとフェンスに囲まれた基地のようなイメージがあるがこれは
オリ型の円筒形アンテナである。
これが動物園の
巨大なオリ(=巨大なオリに入るのは巨大な生物=像)を連想されるので
通称「象のオリ」と呼ばれている。
(直径約200メートル、高さ28メートルの円筒形アンテナ)
主に中国の高度軍事・外交交信の傍受と暗号解読が行われてきた。
基地の周りにフェンスがあるのだが、このフェンスは、【日本国防衛施設庁】が設置したものである。
(もちろん、沖縄人を敵とみなし仲間のアメリカ軍を守る為に。。。)
1.施設の概要
(ア)所在地: 読谷村(字波平、字座喜味、字上地)
(イ)施設面積: 535千m2
(ウ)地主数: 457人
(エ)年間賃借料: 365百万円
(オ)駐留軍従業員数: 31人
2.施設の管理及び用途
(ア)管理: 海軍
(イ)用途: 通信
観光コースでない沖縄―戦跡・基地・開発・離島 (1983年)
楚辺の「象のオリ」を全国的に有名にしたのは、1996 年に起きた
「土地不法占拠問題」。
(大和の人には知らない人がいるんだろうな~「土地不法占拠問題」。沖縄では大問題な事なのに。。。)
1996年「土地不法占拠問題」:
沖縄の米軍用地には民間の土地の借用が必ず含まれる。
しかし、その借地は「貸してください」の借地ではなく、米軍占領下において【強制的に接収】(略奪)されたものである。
なので、自分の土地を返せと基地に反対する地主も少なくはありません。
そして、土地借用の契約書へのサインを拒む人も少なくありません。
それではアメリカ軍が撤退しないといけないので、日本政府に何とかしろと言ってきました。
そこで日本政府は、勝手に法律を作り【市町村や県の首長が代理署名する事により土地を使用できる】とした。
(駐留軍用地特別措置法を改正。翌年使用を合法化した。)
(↑これもありえない手法で沖縄の人々をないがしろにしてきた現象の一つであるのだが。。。)
1995 年に起きた米兵による女子暴行事件を機に「沖縄県人を奴隷あつかいするな!」の基地反対運動が高まるなか、大田明秀沖縄県知事 が代理署名を拒否。
これにより一部の米軍用地の借地期限が 1996 年4月1日午前0時の1秒前に切れる事態となった。(=以降は、いわば民有地を米軍が勝手に不法占拠している状態)
地主は当然の権利として自分の土地、すなわち米軍基地内への立ち入りを要求。(知花昌一氏もその土地の地主の一人)
しかし、防衛施設庁 (=日本国政府) はアメリカ軍を守れとの命令にシッポを降って喜んで従い、「象のオリ」周辺にフェンスを張ってアメリカ軍を守り、沖縄人に入るなと銃を突きつける兵隊となった。
この土地不法占拠問題は裁判になり、44日後の5月14日、裁判所の仲介で国と知花氏の和解が成立。
たった2時間の条件付きながら国はようやく知花氏の自分の土地への立ち入りを認めた。
結局、知花氏は 1 時間半程度の僅かな時間だけ自分の土地への立ち入る事ができた。
その日の模様はこう語り継がれております。
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その日、知花さんの家族や、支援してくれた反戦地主や弁護士、友人らが集まって、「オリ」の中の芝生の上でご馳走を広げ、基地に取られて以来初めて自分の土地に入ることを祝うことになった。知花さんの母ウメノさんはその日、32個の折り詰め弁当を用意した。
集まる人数は30人。2つ余計である。余った分はなんと基地内で自分たちの行動を監視する防衛施設局員の分である。
彼らはこの1ヵ月半、土地の返還を求める知花さん一家らの前に立ちはだかり、機動隊まで動員させ力づくで基地内立ち入りを禁止してきた。そんな彼らにもウメノさんはお弁当を振舞おうとしたのだ。(もちろん彼らは受け取らなかった)
オリのなかで彼らは三絃を弾き、オリオンビールで乾杯し、弁当を広げた。そして約束の4時が近づくと、全員でカチャーシーを乱舞し、ただの1分も過ぎることなく、ござをたたんでオリの外へ出た。
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米軍楚辺通信所(通称・象のオリ)の歴史。
1945 沖縄戦で米軍が沖縄占領と同時に使用開始。
1953 施設完成。
1995 少女暴行事件
1996/12 SACO最終報告(日米)で、施設等をキャンプ・ハンセンに移設することを条件に4年後の2000年の返還が決定。
伸ばし伸ばしでズルズルと使用。
2006/12 書類上で土地のみ返還。
2007/4 大型重機が入り解体に取り掛かった。
2007/6 解体完了予定
観光コースでない沖縄―戦跡・基地・産業・文化